水俣EXPOの主催者 村上様と初顔合わせ。

水俣EXPOの主催者 村上様と初顔合わせ。
facebookにて、御縁を頂きました。
現地ボランティア団体として
イベント参加のオファーを頂いたのですが。

私の直ぐにお話をお会いして伺いたい!
というスイッチが入ってしまい

今日、IKIMASU.熊本
共有の広場の代表 牛島さん
水俣EXPOの三者による顔合わせを。

この水俣EXPOのイベントの詳細を
説明して頂き、
村上さんの飾らないストレートな言葉や
お話を聞いていくうちに
実行委員会の皆様が
私達IKIMASU.熊本に
どのような役割を期待して
オファーしてくださったかの意味がわかりました。

ジャンルは違えど
『同志』という答えに至り、
水俣竹林園祭実行委員会の皆様と
共にチャリティイベントに携わると決意しました。

私達も村上さんも、牛島さんも
熊本地震の風化、被災地、被災者の置去り
そして、ボランティア人員の減少に焦りと
恐怖、不安を感じています。

今月の14日で4ヶ月。
4ヶ月でメディアでさえも話題にせず
支援や、ボランティアもどんどん減り
撤退していく中、
ただ指をくわえてそれを仕方ないとは
割りきれません。
災害被災に大きい、小さいなんてありません。
死亡者や行方不明者の数で決めれるのでしょうか。

通常の生活に少しずつ戻るということは
自然な流れで、
それぞれが日常へ戻る事が出来れば
何も問題無いと思います。

ただ、あれから4ヶ月、
あの日から時間が止まっている地域があり
あの日の様に余震に怯え
明日のことすら考えられない人たちが
まだまだ沢山いらっしゃいます。

何かして欲しいとはいいません。

私達IKIMASU.が
何度となく訴えさせてもらっている
『熊本』を忘れないでほしい。

今までは全国の皆さんに対してでした。

でも、今日からは
『熊本県の皆様、ならびに全国の皆様へ』と
変えさせて頂きたいと思います。

自分達の生活が優先だと分かっております。
しかし、熊本が恐怖に包まれ
地獄と化したあの時から
1日として忘れる事なく、気持ちだけで
突っ走ってきた人間がいます。

一人でも多くの人に、少しでも食事をと
自分達は、飲み食いせず
朝早くから、日付の変わる頃まで動き続け

個々に行き渡るように必死で活動した人間がいます。

あの時皆で食料を分け合い
不安や恐怖に押し潰されないように
声を掛け合い、他人同士思い合ったこと
『思い合う』という事で
その日その日を乗り越える事が出来たこと。

そして、またいつどこで何があるかわからない。
明日は我が身ということ。
助け合うことで、行動に移すことで
風化することを防げるはずです。
熊本地震は終わっていない。

自分達は震源地から離れていて
助かった、震源地だったから仕方ないと
諦めないでください。
家、車、仕事、全てを一瞬にして失った時。
置き換えてみて欲しいです。

自分がいま現在も避難所生活を
強いられ、生活の目処すらたたず
今現在も益城町や南阿蘇村で続く
避難所生活や車中泊や
軒先避難のような環境を
ストレスや愚痴なく受け入れることが出来るか。

3ヶ月たったから、これ以上は
仕方ないと言えるでしょうか。

1人は皆の為に
皆は1人の為に

心掛け1つで、
人の心や街も
復興していけるのではないかと
希望と安心感がでてきます。

夢や希望、
一時の安心感すら見出せない
被災者の代わりに出来ることを出来る人が
啓発していく事で結果は必ず変わるはずです。

もう一度皆で考えるべきだと思います。
『水俣EXPO』開催を決意されたお気持と
IKIMASU.熊本を立ち上げた理由と
そして、最終目的が『復興』だという事。

そして、このチャリティイベントが単発ではないこと。
皆様のご参加で笑顔という社会貢献になること。

このチャリティイベントで
一人でも多くの方に笑顔が生まれますように。

一人でも多くの方が前に進めますように。

私達も水俣EXPOをお手伝いさせて頂きます!!

皆様、拡散、シェアのご支援よろしくお願いします!

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